その歴史と、その延長線上にある今を目で見て、肌で感じられる雰囲気のある場所です。
ザグレブ:概要
- クロアチアの首都 & 最大の都市
- 面積:641 km2(※東京 23 区よりほんのちょっと大きいくらい)
- 人口:約 77 万人(※東京の 5.5% くらい)
- ザグレブへのアクセス
- 飛行機
- ザグレブ空港(フラニョ・トゥジマン空港) → シャトルバスなどで市内へ
- 鉄道
- ヨーロッパ主要都市を結ぶ鉄道網が利用可能
- ユーレイルパスも使えます
- バス
- クロアチア国内外の様々な都市間を結ぶ長距離バス利用可能
- 毎日 100 路線以上の長距離バスが運行されています
- 飛行機
ザグレブの観光名所
定番観光スポット
- 聖マルコ教会:Crkva sv. Marka
- 『クロアチア、スラヴォニア、ダルマチアの三位一体王国』と『ザグレブ市』の 2 つの紋章が並ぶ、赤、白、青のタイル屋根がとてもかわいい
- ザグレブ大聖堂(聖母被昇天大聖堂):Zagrebačka katedrala
- 双子の塔が印象的な、外観、内観ともに荘厳で美しい大聖堂
- 2020 年の地震で塔の先端が破損してしまい、ザグレブ市民に大きなショックを与えた
- ドラツ市場:Tržnica Dolac
- ザグレブの胃袋を支える常設市場
- 赤いパラソルの並ぶ屋外市場の階下には精肉や乾物、デリなどの売り場あり
- クロアチア北東部にある有名なワインメーカー、イロチュキ・ポドゥルミ(Iločki Podrumi)のワインの量り売りコーナーも
- イェラチッチ総督広場:Trg Bana Josipa Jelačića
- ザグレブの中央広場的な場所 → 様々な見どころにアクセスするための出発点として便利
- トゥカルチチェヴァ通り:Ulica Ivana Tkalčića
- レストランやカフェの密集地帯
- 石の門:Kamenita vrata
- 1200 年代に建設され、姿を変えながら現存する門 → 願いがかなうラッキースポットでもある
- ロトルシュチャク塔:Kula Lotrščak
- ザグレブがハンガリー王ベーラ 4 世によって自由都市として認められた際、ザグレブとその周辺の防御力向上のため建設された塔
- ストロスマイヤー遊歩道:Strossmayerovo šetalište
- ロトルシュチャク塔のある眺めのよい斜面沿いにある遊歩道 → ザグレブを眼下に一望できる!
その他の観光スポット
- ミロゴイ墓地:Groblje Mirogoj
- 『ヨーロッパで最も美しい墓地』と言われることもある
- マクシミル公園:Park Maksimir
- ザグレブで一番歴史のある公立の公園
- 湖があり自然豊かな上、動物園もある
- ヤルン:Jarun
- ザグレブ市民憩いの緑地。スポーツセンターもある
- メドヴェドグラド自然公園:Park prirode Medvednica
- ザグレブ郊外の山にある自然公園
- オスマン帝国進撃でザグレブがひどい被害を受けたため、今後に備えて作られた要塞がある
美術館・博物館
- 失恋博物館:Muzej prekinutih veza
- 本来の名前は『壊れた人間関係の博物館』
- ナイーブアート(正規の美術教育を受けていない芸術家によるアート)・ミュージアム
- アンリ・ルソーが好きな人ならきっとお気に入りの作品が見つかる
- ミュージアム・オブ・イリュージョンズ:Muzej iluzija
- 錯視を全身で体感できる不思議な世界
- 考古学博物館:Arheološki muzej u Zagrebu
- 「期待せずに行ったら意外と充実していて驚いた」という感想をよく聞く、いい博物館
- キノコ博物館:Muzej Gljiva
- なんでキノコで博物館を作ろうと思ったのか全くわからないものの、ディーブなキノコワールドが楽しめる斬新な場所
- チョコレート・ミュージアム:Muzej čokolade Zagreb
- 匂いをかぎに行くだけでも来た甲斐があったと思える。まさにチョコ好きの聖地
- アトリエ・メシュトロヴィッチ:Atelijer Meštrović
- クロアチアが誇る近代彫刻の巨匠、イヴァン・メシュトロヴィッチの作品大集結
ザグレブの楽しみ方
ザグレブは、さほど規模も大きくなく、ガイドブックに載っているタイプの見どころはほとんどが旧市街周辺に集まっています。
そのため、そういった要所をざーっと見て回るだけなら、数時間 〜 半日くらいあれば回り切れるはず。
ただ、もし日程に余裕があるのであれば、カフェ&バー巡り、博物館&美術館巡り、食べ歩き、ちょっと郊外に足を伸ばしてみる…など、有名どころ以外を楽しんでみるのをおすすめします!
また、ザグレブは市内を徒歩で回るタイプのツアー、車に乗って近郊にある観光名所やワイナリーなどを巡る日帰りツアーも充実しています。
クロアチア語だけでなく英語、ドイツ語、イタリア語などのツアーがあるので、日本語以外でもいい場合、チョイスは相当あります!
日本語ガイドがよい場合は、ザグレブ在住で、政府公認のガイド資格を持っている方も何人かいらっしゃるので、ネットなどで探してコンタクトしてみてくださいね!
のんびり散歩のおすすめ立ち寄りスポット
ワイン好きの方向けスポット
- ワインショップ&ワインバー ボーンスタイン:Bornstein
- Kaptol ul. 19, Zagreb
- プピトレス ワイン&コーヒーバー:Pupitres Wine & coffee bar
- Frankopanska Ulica 1, Zagreb
- チーズ&ワインバー:Cheese and Wine Bar
- Ulica Augusta Cesarca 2, Zagreb
- ヴィノテカ・ヴィンテサ:Vinoteka Vintesa(※ワインショップ)
- Vlaška ul. 63, Zagreb
- ポッド・ズィドム:Pod Zidom(※ビストロ、ペアリングの評価が高い)
- Ul. Pod zidom 5, Zagreb
- レストラン・アガヴァ:Restaurant Agava(※ペアリングの評価が高い)
- Ul. Ivana Tkalčića 39, Zagreb
- ジンファンデルズ・レストラン:Zinfandel’s Restaurant(※ホテル・エスプラナーデのレストラン。ペアリングの評価が高い)
- Ul. Antuna Mihanovića 1, Zagreb
カフェでまったり派向けのスポット
- カフェ・ギムナシウム:Café Gymnasium
- Rooseveltov trg 5, Zagreb
- ミマラ博物館(Muzej Mimara)併設カフェで、博物館がリノベーションのため閉館中なのでカフェも閉鎖中(2022 年)
- コギト・コーヒー:Cogito Coffee
- ザグレブ市内に数店舗あり → クロアチアから世界進出を果たしたアーティザンコーヒーショップ
- ウ・ドゥヴォリシュツ:U Dvorištu
- Ul. Jurja Žerjavića 7, Zagreb
- クアフワ:Quahwa
- ul. Nikole Tesle 9/1, Zagreb
- モノサイクル・スペシャルティ・コーヒー:Monocycle specialty coffee
- Ul. Kneza Mislava 17, Zagreb
- ボタニチャル:Botaničar
- Trg Marka Marulića 6, Zagreb
ザグレブの歴史
ザグレブの歴史は、ローマ帝国の入植地、アンダウトニア(Andautonia)に始まったと言われています。
アンダウトニアは現在のザグレブの東南、空港にも近い場所にあるシュチタリェヴォ(Šćitarjevo)という村にあったそうです。
正確な文献などが残っていないため詳細はわからないものの、1 〜 4 世紀の間に成立し、その後民族大移動の波に揉まれる中で破壊されてしまったそうです。
ザグレブが再び文献に現れるのは 11 世紀に入ってからのことです。
当時の『クロアチア王国』に王位継承問題が勃発し、結果、クロアチアのトゥルピミロヴィッチ王朝は断絶。
ハンガリー王国の君主、聖王ラースロー 1 世がクロアチア王国の君主も兼任する形に落ち着きます。
現代につながるザグレブの基礎を作ったのがこのラースロー 1 世。
ただ、この当時はザグレブは 1 つの町ではなく、大聖堂を中心とする教区カプトル(Kaptol)と、概ね今のアッパー・ザグレブ(Gornji Grad)にあたるグラデッツ(Gradec)の 2 つの町だったそうです。
ザグレブももちろん巻き込まれて大変な目にあったのですが、モンゴル軍の追撃から逃れてきたハンガリー王国のベーラ 4 世を守って逃がすことには成功。
その功績により、グラデッツは 1242 年にハンガリー王国が発令した「黄金の雄牛」令により自治を認められ、自由都市となったのです!
カプトルとグラデッツは、その後クロアチアの政治の中心地となってゆき、1557 年には首都、1621 年には総督府が置かれる場所となりました。
17 〜 18 世紀には黒死病の蔓延と度重なる大火によりひどい状態になってしまったため、一時的に首都機能がヴァラジュディン(Varaždin)に移されますが、その後現在にいたるまで、ザグレブはクロアチアの首都として機能していくこととなります。
言い伝えによると、門そのものが火災によってだいぶダメージを受けてしまった時も、この門に置かれていた聖母マリアと幼子イエスの絵画は無傷だったのだそうです。
それを記念して門内に礼拝所が作られ、今も石の門に現存しています。
昔は、願いがかなった感謝を記した石版を納める習わしもあったそうで、そのような石版は今でも見ることができますよ!
この 2 つの町が統合され 1 つになったのは 1851 年の事。
これは当時クロアチアのバン(総督)だったヨシップ・イェラチッチ伯爵の決断によるものとされていて、これを記念してザグレブの中央広場が『イェラチッチ総督広場(または『バン・イェラチッチ広場』)』と名付けられたと言われています。
19 世紀に入り、鉄道、ガス、水道なども開通して急激に近代化が進んだザグレブ。
1880 年にはザグレブ大地震の発生で大きな被害が発生したものの、その近代化と発展の波は止まることなく、1891 年にはトラム(※路面電車)、1907 年には発電所も作られています。
ガス灯の点灯夫さんが 1 つ 1 つ手動で点灯、消灯してまわるこのガス灯、効率は悪いかもしれないけど、なんとも言えないあったかい光で、とても雰囲気があるのです…。
20 世紀に入り、世界大戦が発生すると、クロアチアのみならず、世界中が戦乱の大きな渦に巻き込まれていきます。
この辺りの流れについては、『ザグレブ』という軸で見るより、クロアチア全体で見たほうがわかりやすいと思うので、何が起きたのか知りたい方はこちらもあわせて読んでみてください。
クロアチアは、歴史的に、大国がぶつかり合う境目になってしまうことが多く、ものすごい波乱万丈な、超絶ドラマチックな過去を持っているのです! 先史時代 クロアチア(特に北部)は非常に古くから人類の居住が始まった地域[…]
現在のザグレブは、カプトルとグラデッツを中心に広がる歴史的な街並と、前近代的というか共産主義時代の雰囲気を色濃く残す建物、そして現代のモダンな建物が混在し、町のどこに行くかでガラッと雰囲気の異なる、様々な表情が楽しめる場所になっています。